Good Old Music 、Fantastic高校野球

林業家kagenogoriが70's~80'sの珠玉の音楽、そして高校野球、etc.についてのたまうブログ

”光”は見えたか ~ トッド・ラングレン「アイ・ソー・ザ・ライト」

 

Something/Anything?

 徐々に新たな感染者の数が減少してきている。

 

 国内では自粛の緩和も検討され出している。

 

 しかしまだまだ油断は出来ない。するべきでもない。

 

 また日本国内でも世界でも、様々な”差別”が表面化してしまっている。

 

 国際政治に目を向ければ、中国、アメリカ、北朝鮮が、なにやらきな臭い匂いを放つ火種をわざわざ起こそうとしているようにも見える。

 ヨーロッパや日本だって、このあとどうなるか、注視が必要だろう。

 

 差別、軋轢。

 

 人間の心に潜む「闇」や、現代文明の「業」といったことを思い起こさずにはいられない。

 

 このような状況のなか、「光」は見えてくるのか。

 「光」はあるのか。

 

 

 トッド・ラングレン「I SAW THE LIGHT」

 72年の『サムシング/エニシング?』に収録の名曲である。

 

Something/Anything?

Something/Anything?

  • 発売日: 2016/02/26
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

 

 当然シングルにもなり、その美しさ(メロディ、コーラスワーク、アレンジ、そして歌詞)で人気がある。

 タイトルを直訳すれば「光を見た」 、あるいは「光が見えた」 、か。

 

 ではこの歌の主人公は、いったい何に”光”を見たというのか。

 何の”光”を見たというのか。

 

 彼が見たのは、「神の光」や「神の栄光」でも無ければ、世界を救う大きな光でも無く、社会を照らす光でも無かった。

 それは、じつにささやかな「光」。

 

 彼が見たのは、愛する女性(ひと)の瞳の中にある「光」だった。

 

 並んで歩く二人が、互いの”愛”を確信したとき、自分を見上げた彼女。

 見つめ合うその瞳のなかに、小さく輝く「光」を見た。

 それだけのことである。

 トッドはそれを歌にした。

 

 何の変哲もない、シンプルな歌である。

 トッドはミドルテンポでそれを淡々と歌う。 

 

 

 

 人はそれぞれに、その人なりの”光”を持っている。

 それは、この歌のように愛する人とのあいだに育む愛かもしれない。

 それは周りの人々や弱い存在(人とは限らない)に対する思いやりの心かもしれない。

 

 それらのひとつひとつは、闇のなかにポツンと灯るロウソクの灯りのように、じつに小さな”光”に違いない。

 

 しかし、アナタやワタシが他人や社会を攻撃したくなる気持ち、怒りの気持ち、いらだつ気持ち、それらを抱いてしまいそうになるとき。

 そういうときは、どうしようもなく、ある。

 そのとき。

 かわりに愛する存在を頭に浮かべてみる。

 あるいはアナタが怒りや苛立ちを感じている目の前のひとが、じつは多くの人を笑顔にしているさま、あるいは家族を愛しているさま、愛されているさまを一瞬、思い浮かべてみる。

 

 それは愛や思いやりの小さな”光”にならないだろうか。

 そのひとつひとつが、世の中の人たちの心を少しずつでも動かしはしないだろうか。

 周りを貶めるのではなく、助け合う気持ちが生まれないだろうか。

 世の中の人ひとりひとりがそのようにすれば、小さな光も大きな光にならないだろうか。

 

 もちろん、それだけでは世の中は成り立っては行かないのだろう。

 そんなに甘いもんじゃない。

 それは分かっている。

 しかし一人一人がそこから一歩、進まなければ、差別も軋轢も争いも無くなりはしないだろう。

 他人や、他集団や、他民族や、他国を認め、許すことも出来ないだろう。

 社会は、世界は、もうギリギリのそんなところにまで来てしまっている。

 このコロナ禍はそれを教えてくれているような気もする。

 

 ひとりひとりが心に”光”を持つ。

 相手に”光”を見る。

 たった、それだけで良いのである。

 

ハロー・イッツ・ミー(サムシング/エニシング?)

ハロー・イッツ・ミー(サムシング/エニシング?)

 

 

 そのようなことなどを念頭においてこの曲を聴いてみるのも一興だろう。

 そう思ってこの曲のYouTubeをここに貼り付けようとしたのだが、うまくできなかった(笑)。

 各自、YouTube等で(笑)この曲の素晴らしさを確認して欲しい。

 

 

 ちなみにワタシが見つめ合う相手は、もっぱら猫(笑)である。

 

 カミサン?

 試しにワタシがカミサンの瞳のなかをのぞき込もうとしたとしよう。

 即座に「ナニ?キモチワルイ」の言葉がワタシの喉元を切り裂いてくるであろう。

 そして晩飯のオカズが一品減らされるであろう。

 ワタシはそのような危険は冒さない。

 賢者はわざわざ火種をつくろうとしないものである。

 

 ここまでの文章のイイ流れを台無し(笑)にする発言が飛び出してしまったが、仕方がない。

 仕方がないから、傍らでスヤスヤ寝ている猫を持ち上げて見つめ合うことにした。

 猫の目って透き通ってキレイ

 

 尚も見つめようとすると、照れクサイのか目を反らしやがった。

 フフ、愛い(うい)やつめ (=^・^=)

 

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