若き日のワタシにとって日本のRockといえば、まず佐野元春、そしてシーナ&ザ・ロケッツであり、ザ・ルースターズであった。
あとの二つはどちらも博多出身、あるいは拠点としたRockバンドである。
当時のワタシは博多のRockにアコガレのような思いを抱いていた。
”めんたいロック”について多くを知っているわけではなかった。
それでも当時のワタシには、博多に住む人たちに嫉妬にも近い”羨望”があった。
なぜなら、博多のRockには、「BEAT」が横溢していたからだ。
もちろん”めんたいロック”は、ギターも素晴らしかった。
鮎川誠は日本トップクラスのギタリストだと今でも思っている。
しかし当時も今も、ワタシにとってRockとは「BEAT」なのである。
いくらゴリッパなゴタクを並べられても、BEATを感じられないRockはワタシにとってはRockでは無かったのである。
だから当時まわり中が騒いでいた尾崎豊(多分それなりに一流のミュージシャンがレコーディングに参加していたはずだからBEATはしっかりあったはずと思うのだが、尾崎自体の”歌”にそれを感じなかったのだ)にしても、ワタシにとってはRockでは無かった(※個人の感想です)し、興味もあまり湧かなかった。
博多のRockこそが、ワタシにとっての理想的なRockだったのだ。
博多のRockには、ニンゲンの”本能”に根差した”衝動”や”欲望”が強く感じられた。*1
強烈なBEATにのせて。
だからこそ、リクツ抜きで好きになれたのであろう。
十代後半から二十代前半の若者(バカモノ=当時のワタシのことですね)にとっては、キケンな代物である。
その意味で、シーナ&ザ・ロケッツは強烈だった。
彼らのRockには”衝動”や”欲望”に向かう「爆裂的なエネルギー」があった。
”衝動”や”欲望”という点ではルースターズも負けてはいなかった。
しかし、ナニカが違った。
ソコに向かうエネルギーは確かにあるのだが、どこか斜に構えているというか、衝動・欲望の裏側にある”虚しさ”とか”どうしようもないアキラメ”のようなものがあった。*2
にもかかわらず、その向こう側にはナニモ無いと分かっていながら、ソコに突っ走っていく感覚。
ある意味、もっともキケンな匂いがした。
それがルースターズのRockだったのだ。
ワタシがもっともルースターズらしいと感じる曲の一つは、’80年の1st『THE ROOSTERS』に収録の「恋をしようよ」である。
※BEAT系ロックンロールのすべてがここに詰まっている。
大江慎也のケレン味の無いカラッとしたVocalと、後々まで日本のロックシーンを牽引することになる花田裕之(g)、井上富雄(b)、池畑潤二(ds)が放つ瑞々しくソリッドなサウンドは、もはや”宝物”。
タイトルの”ほのぼの感”にダマされてはいけない(笑)。
”衝動と欲望”へ向かう、そのあまりにもストレート過ぎる歌詞(笑)。
その歌詞をここで明示することははばかられる(笑)ので、ネット上の何らかの方法で(笑)試聴するなり歌詞を確認するなりしてほしい。
※大江の精神状態がヘヴィーになってきた影響か、変化の兆しが見え始めてきた4thアルバム。
ニューウェイヴっぽくなってきたサウンドと影のある歌詞。
皮肉にもそれが「I'm Swayin' In The Air」「Sad Song」という二大名曲を生んだ。
ある意味、これほど”紆余曲折”という言葉が似合うバンド(笑)も他にないと思う。
精神を病んでしまって活動することもままならなくなってしまった大江は、傑作『φ(ファイ)』を最後にバンドを退いた。
※ 大江の状態が悪化したこともあって、 『DIS.』から加入した下山淳(g)と花田の”色”が強まった作品だが、これも皮肉なことにRock史に残る名盤となった。
幻想的で浮遊感漂うロックンロールは唯一無二。
それからもルースターズは花田裕之(g)をメインVocalに据えて、花田と下山の二頭体制で活動を続けたが、ワタシはその頃の作品をまったく聴いていない。
花田と下山に不満があったわけではない。
むしろ彼らはずっと気になる存在で、他アーティストの作品に名前がクレジットされていれば、必ずチェックしていたほどだ。
しかし、大江のいないルースターズには、何故かまったく食指が動かなかったのだ。これはどうしようもない。
ルースターズはその後、数作を残して解散した。
ワタシはルースターズを離れてしまったが、前述の通りメンバーの動向は気にし続けた。
たとえば佐野元春の’04年の名盤『THE SUN』 。
個人的にはこれが佐野元春の最高傑作だと思っているが、’04年の発売と共に購入し、その”THE HOBO KING BAND”のクレジットのなかに「Bass : 井上富雄」の名を見つけたときはうれしかった。*3
”そうか、いまは佐野さんと一緒にRockしてるのか”。
”ザ・マイスター”佐野元春(当時はバンドのメンバーから”棟梁”と呼ばれていたらしいが.笑)にも認められていたであろうその実力。
当時のホーボー・キング・バンドは、元ボ・ガンボスのDr.Kyon(key)をはじめとして、佐橋佳幸(g)、元HEARTLANDの古田たかし(dr)といった超一流バンドマンがそろった、おそらく当時日本一のRock'n'Roll Bandだった。
その中に”井上富雄”の名があるのが、妙に誇らしかった。
井上はその後もベーシストとして、アーティストとして、日本Rock界の第一線であり続けた。
今回、タイトルは「ルースターズよ、もう一度」としたが、再結成や新譜の発表を望んでいるわけではない。(実際は何度か再結成を繰り返しているらしい。快復した大江も参加しているとかで、安堵。)
ルースターズの、そして大江慎也のRockは、あの時代のものだったと思うからである。*4
そして今またルースターズを聴きなおそうとしている。
ワタシのなかに”ルースターズ的”なナニカ、あるいはルースターズを求めていた頃に心のなかに持っていたナニカ、それが蘇ろうとしているのかもしれない。
ジジイのくせに困ったモンである(笑)。
こうなればあの頃聴いていた、聴きたかった、パンク/ニューウェイヴ、めんたいロック、東京のインディーズシーン等を再度掘り起こしてみよう。
あの頃聴きたくても入手できなかったアコガレのTHE FOOLS、アコガレのNICKEY & THE WARRIORS、アコガレの‥‥etc.。
某通販サイト(笑)で検索すれば手に入るはず。
その暁にはカミサンへの借金がまた増えるのだが(笑)。
いい時代になったものである。
長生きはするもんだなぁ(笑)。
若い頃は、幼少から体が弱かったこともあって、ジブンが50過ぎどころか、30まで生きて自分の家族を持つなんて全く想像がつかなかった。
ここまでの人生、 ”辛い苦しい”はごく当たり前のように、常に傍らにあった。
数えきれないほど失敗もした。
数えきれないほど恥もかいた。
たくさんバカにもされてきた。
よくぞ途中で折れずに来れたもんだ。
40代も後半になってようやく、歳をとるごとにほんの少しずつではあるが人生がラクになりつつあることに気が付き始めた。
落ち着いてきたのは、ここ2,3年のこと。
長生きはするもんである。
長く生きていればイイコトもある。
人生はこれからだ(笑)。
そうなったらそうなったで、またあの頃の”ナニモノカ”が蘇りつつある。
困ったもんである(笑)。
*1:その意味では尾崎豊も似たようなものだったが、なによりワタシにはBEATがあまり感じられなかったし、感情的(あるいは情緒的)な歌詞や表現にも半ば生理的な嫌悪感を抱いてしまった。当時のワタシにすれば、それはRockというより演歌に近いものだったのである。自分自身を対象化、つまり第三者の目で見ることができなければ、それはRockでは無い。言い過ぎは承知である(笑)。
*2:それが、ルースターズ、というより大江慎也(vo)独特の”せつないカンジ”を生み出していたのかもしれない。
*3:実はこのバンドの始まりである96年発売の『FRUITS』のときから井上は参加していたのだが、ワタシは全く気づいていなかった(笑)。全くもう(笑)。
*4:大江自身はその後ソロとして活動し、知らなかったが作品も多数発表しているらしい。是非聴かなければと思っている。