窓の外はいま、雪がちらついている。
ここ金沢でも久しぶりの雪。
いま『海獣の子供』のサントラを聴きながらこれを書いている。
久石譲の音楽はいつも、美しく、優しく、温かい。
星屑のようなサウンド。
映画館で観ることが叶わなかった劇場版『海獣の子供』を、約半年遅れで我が家で観ることができた。
細部で原作と異なる部分があったりしたが全く気にならない。
やはりスゴイ作品ダ、これは。
ストーリーが素晴らしいのは当たり前として、特筆すべきはその映像のスゴさ。
五十嵐大介原作だから手を抜けなかったのはわかるが、ソコマデヤルカというくらい、予想以上、期待以上。
画面に映るすべてのモノに生命が宿っている。
画面に映るすべてのモノが、より大きな生命(地球?宇宙?)の中の濃密な空間のなかで生かされている。
そんなことを思わせる圧倒的映像美。
これはボクにとって新しい宝物になった。
「一番大切な約束は言葉では交わさない」
この映画のなかでは様々なコンセプトや哲学が明確に、あるいは暗に語られるが、もっとも重要で象徴的なキーワードがこれだろう。
また、作中ではクジラたちの「ソング(歌)」について、
「我々人間は、うまく”言葉”にできなければと思っていることの半分も伝えられない。 けれどクジラたちは、見たことや感じたことをそのままの”形”で伝え合っているのかもしれない。」
ということも言っていた。
映画の方では無かったけど、漫画(原作)の方では、
「言葉で話すと、言葉にならないことはないことになっちゃうでしょ? だったら言わないほうがいい」
といったセリフがあった。
同じく五十嵐氏の名作『魔女』第2集の中の「ペトラ・ゲニタリクス(生殖の石)」でも、
”魔女”が(「権威・権力」の象徴である)聖職者たちに向かって
「あなた達の世界は”有限”。 ……あなた達の言葉は、ありとあらゆる可能性を特定の性質に切り分けるナイフ。 自分達の都合のいいように世界を刻む道具。」
「わたし達の世界は”無限”。……わたし達は世界をあるがままに見る。」
と言っている。
『言葉』で言い尽くせなかったこと、そして『言葉』で切り取った以外の部分や、『言葉』の意味から漏れたコトは言わなかったことになってしまう。
あるひとつの事象を、『言葉』に変換して捉えている限り、その事象の本質や全体像はつかめないし、『言葉』で伝えることができるのもその事象の一部にしか過ぎない。
そういうことなのだろう。
例えばひとつのリンゴを表す言葉として
赤い
丸い
甘酸っぱい
果物
中心に種がある
etc.
があるとして、逆にこれらの”言葉だけ”を以てそのリンゴを完全に再現できるのかと言ったら、それは絶対に不可能だ。
たとえ言葉を一万個並べようとも。
”言葉の有限性”とはそういうことだ。
作中では、クジラの「ソング」が、頭の中にあることを”言葉”ではなく、”そのまま”伝えている可能性について触れていたが、実は「気持ちが通じ合う」ということはそう言う事なんじゃないか、とも思う。
それは、動物同士のあいだでも、動物と人間のあいだでも、人間同士のあいだでも。
突然だが、かく言うボクはイカと心を通じ合わせたことがある。
あの、イカである。海に棲んでる。
さあ、笑ってくれ(笑)。
でも、これはホントのハナシ。
家族にも言ったことはないけど、ここで初めてヒトに明かす。
決して笑わせるためではないのだが(笑)。
子供たちがまだ幼かった頃、家族で名古屋旅行に出かけた折、名古屋港水族館に行ったときのハナシ。
ガラガラ、というわけでもなかったが、客足は空いていて、余裕をもって一つ一つを見ることが出来た。
イカの展示のところで足を止めた。
家族はもうずっと先の方に行っている。
見ると何の変哲もない、普通のイカ。
でも美しいと思った。
ふとそのイカと目が合った気がした。
ナニカ親近感のようなモノを感じつつ、そのまま目をそらさずにいると、イカがコチラに近づいて来て窓を挟んで向かい合う形に。
イカが足をこちらに向けてゆらゆらと、揺らめかせている。
”美しい。きれいダヨ。”
と心のなかで語りかけた瞬間だった。
イカが突然、虹のように七色に輝きだしたのだ。
驚いた。
生き物のこれほど美しい姿は初めて見た。
あとになって思えば、他の客がその時どうしていたのか不思議だったが、そのときは気にならなかった。
尚も、”きれいダヨ、きれいダヨ”とこころの中で思い続けていると、イカも応えるように七色のグラデーションを、まるでネオンサイン(古いね…)のように波打たせてくる。
このとき、確かにイカと心が通じ合っている”実感”が、ボクにはあった。
数分間、一対一でそうしていたように思う。
幸せな時間だった。
でもそこからが、ボクのダメなところ。
心の中のトリックスターが、よせばいいのにアタマをもたげたのだ。
ついイタズラ心で「でも刺身にするとうまそうだな」と思ってしまった。
と、その瞬間、イカが真っ黒に変色して、一瞬で奥に逃げ去ってしまったのだ。
ボーゼン。
ボクの中ではいまだに、イカを裏切ってしまったような気持ちが残っている。スマン……。
というわけなのですが、どうですか。笑えましたか(笑)。
まあ、信じる信じないはアナタの自由なのですが(笑)。
しかし思い返してみれば、ボクは子供の頃から生き物、とりわけ小さい生き物に対していつも語りかけていた気がする。
友達がいないワケではなかったのだが(笑)。毎日草野球で忙しかったし。
それに昔から動物や小さい子供たちには、やたらなつかれていた気がする。
それはともかく、いまでも仕事中(林業なので仕事場は主に山の中)には、昆虫やカエルなどの出会った生き物に語りかけるということをフツーに日常的にしている。
ときどきそれが声に出てしまっているようで、「え?ムシに話しかけてんの?」と仕事仲間に苦笑いされたこともある。
『海獣の子供』の話から、ナンダカヘンなハナシになってしまったけど、まあ、笑っていただければ(笑)。