金沢は朝から猛烈な雨が、断続的に続いている。
今日は仕事が休みになった。
こういう日は無理して仕事に出ても、カラダよりもまず、チェンソーや刈り払い機といった機械がダメになる。
猛烈な雨(特に風も強い場合)のときは、機械の中にどうしても水が入ってしまうのである。
そうなってしまえば最悪、機械はオシャカになってしまうこともある。
そうでなくても修理に出せばしばらく機械は使えず、数千~数万の修理代、オシャカなら新たな機械を購入するのに数万~二十万近くかかってしまう。
そうなるくらいなら休んだほうがトク、というのが個人事業主の集まりであるワタシたちの判断なのである。
と、休みになったイイワケをルンルン気分で書くジジイ(*^▽^*)
皆様の呆れ顔が目に浮かぶ(笑)ようである。
そういうわけ(笑)で皆様の過去記事などをまた読ませていただいているところである。
今日改めて色々と読ませていただき、最近ずっと気になっていたことが浮き彫りになってきた。
このところ、ワタシのブログに楽しいコメントをいただき、いつも大きな励ましを与えてくださる方のことである。
本当はこのようなことをブログ記事として書いてしまってよいものなのかどうか、その方に迷惑にはなりはしまいか、迷ったが………スミマセン、心のままに書かせていただきますm(_ _)m
その方はどうやら東京を拠点に文化的、というかエンターテインメント
に関するメディアに関わる仕事(←筆力の無さはゴカンベンを.笑)をされているように思われる(間違ってたらすみません)。
にもかかわらず、この方は世の矛盾をスルドク突き、はたまた、権力や利権をカサに私腹を肥やし、クニや世界を利用しまくる政治家とその周辺に群がる魑魅魍魎どもを舌鋒スルドク糾弾するのである。
新聞やニュースにチラリと目を向けているだけでは分からない、世界の裏側をこの方のブログでは教えていただいた。
この方の視線は現・コロナ禍において無責任な行動をする一般人にも向けられ、批判することをいとわない。
ワタシ自身、この方の注意喚起的記事を読んで自らを省み、ハズカシイ思いにとらわれた一人である。
ただ、この方はご自身の身を省みられない。
この方の批判の矛先は、大概がこの世の中で力をもっている人間や組織である。
あるいは、周囲の迷惑など、ついぞ考えない類のニンゲンである。
読んでいるコチラが心配になるほどである。
こう書いている時点でワタシ自身の情けなさが身に染みてくる。
誰もが「正しい」ことをしたいと思い、「正しい」ことを言いたいと願う。
ただ、この世の中には「触れてはいけないコト」がいくつもあるらしい。
それを省みず、「正しいこと」をしたり言ったりすると、ダレカやドコカの逆鱗に触れてしまうことがあるらしい。
それが分かっているはずなのにこの方は、ご自身の身をかえりみず、矛を収めることはないのである。
多少のユーモアをまじえつつも。
この方(なんと女性である)には”覚悟”があるのだ。
この方は、”覚悟”をもって記事を書かれている。
相手が誰であろうと、それがひるむことはない。そう思える。
こう書いてくると、その方がナンダカ蓮舫(笑)や旧・社会党(今ナニ党つぅんだっけ? ナカミ変わってないからいいか.笑)のFのような女性に思われるかもしれないが、それはチガウ。
この方には、周囲に対する”愛”がある。(笑うトコロではないヨ)
ご自身が守りたいと思っている世界や日本、親しい人たち、昆虫などの小さな生き物。
それらをどうしても守りたいと思うがゆえ、この女性は細腕の袖をまくり上げ、鉢巻きを締め、わが身を楯に、誰かが言わないといけない「正しいこと」を言い、世に問うのだ。
この方が、このブログ上でなにかのトラブルに巻き込まれてしまっているらしい。
いくら鈍いワタシでも、それは分かる。
この方が非常に不快な思いをされていることも、さすがに分かる。
それでも彼女はその明るさを失わない。
明るさを無くそうとしない。
見かねた他のブロガーさんたちが、はげましのメッセージを送ったり、有効と思われる情報を提供したり、何とか力になろうとされている。
しかしワタシは何もできないでいる。
このような方だから、何か力になりたい、と思う。
なのに、ただこの方と他のブロガーさんたちとのコメントのやり取りを、ボーゼンと(笑)見守るしかできないのである。
つくづく無力なものだと思う。
それなのに、この方はワタシの拙いブログに明るいコメントを下さり、励ましを与えてくれるのである。
見習わなければ、と思う。
この方だけではなく、ほかにも見習いたいブロガーさんは何人もいる。
この歳になって皆さんに出会えたということ。
ワタシもまだまだ捨てたもんじゃない、のかもしれない。
感謝、感謝。
こんな暗い感じ(笑)の記事にしてんじゃねーよ、と思われる方は多いかもしれない。
それにこの方個人のことを、あろうことか自分のブログ記事として取り上げてしまった。
ご本人には、不快に思われたり、迷惑に感じることがあるかもしれない。
しかしその可能性を分かっていながら、心のままに書かせていただいた。
身勝手なものである。
ここで謝らせていただきたい。
ごめんなさい、まどろみさん。m(_ _)m
そしてこれをここまで読んでくれたみなさん、申し訳ない。
いつものゴリジジイでないことは分かっているつもりだ。
多分、さきほどまで窓の外で大きな音を立てていた雨のせいだ。
そういうことにしておいてはくれまいか。
こういう日は、やはり無理にでも仕事に出て、激しい雨にでも打たれてりゃ良かったのだ。
そうすれば多少スッキリしたかもしれん。
ここまでガマンして読んでくれたアナタに、ワタシから感謝をこめて歌を送りたい。
雨に♪
濡れながら♪
たたずむゴリがいる♫
うーむ、チト切れ味が悪いな。
クスリとも笑いが起こらん(笑)。
演歌ではやはりダメか(笑)。
ここはやはり激しい雨に打たれるような歌でなければ。
ボブ・ディランにも「激しい雨がふる」という曲があったが、ここはそんなシチムズカシイ曲(笑)よりも、やはり日本の曲がよかろう。
SION 「街は今日も雨さ」
SIONのデビューアルバム『SION』のラストに収録された曲である。
去年のブログ記事でも一度紹介した曲である。
ナント驚いたことに(笑)前々回紹介した山下達郎の曲も、すでにここで出ていたとは(笑)。
すっかり忘却のカナタであった(笑)。
トシのせいか、我が脳細胞が少しずつ失われつつあるのかもしれん(笑)。
それはともかく(笑)、この曲(達郎じゃないよ、SIONの方だよ)はワタシが昔から大切にしている曲である。
辛い過去を引きずり、
目も当てられないような現状(リアル)を目の当たりにし、
それでも都会の片隅で必死に這いつくばって生きるしかない男。
そのような自分を後悔するでもなく、嗤うでもなく
ただ降り続ける雨に身を晒す。
激しい雨が、時には優しく感じられるものである。
「街は今日も雨さ」
街は今日も雨さ
びしょ濡れの心の向こうに
標識がかすんでみえる
街は今日も雨さ
ナンダカ最近「雨に打たれる」だの「雨に流される」(違ったっけ?笑)だの、そんな記事ばっか書いてるな、ワタシは。
しかも身勝手な記事ばっか。
今回だって、本当ならまどろみさんにエールを送るような曲にすべきなのに。
やっぱりナンカ調子が悪いのかも知れん。
ご批判・ご意見は甘んじて受けます。m(_ _)m