Good Old Music 、Fantastic高校野球

林業家kagenogoriが70's~80'sの珠玉の音楽、そして高校野球、etc.についてのたまうブログ

ワタシの好きな坂本龍一 (1)

 

まずご報告を、、、、

 

 

家人の手術、入院、、そして我が身に押し寄せる家事の数々(笑)、、、

 

 

皆様には大変なご心配をおかけし、また、、

 

多大なる励まし、叱咤激励、ムチ、等々をいただき、大いに力づけられました!

 

 

 

おかげさまで、、、

 

 

カミサンの状態は、その後も何事も無く順調な経過をたどり、

 

 

予想よりも早く16日(日)に無事退院できました!

 

 

皆様、本当にありがとうございました!m(_ _)m

 

 

 

ネコたちも、久々にママのコロコロを堪能してます(写真撮り忘れました.笑)🐱

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、今回は坂本龍一の追悼記事、、、

 

 

 と言っても、一般的な意味での追悼的な内容にはならないと思う。

 

 

 なんとなく、、彼はまだ死んでいない気がするのだ。

 

 

 

 もちろん、肉体としての「坂本龍一」はこの世を去ってしまったのであるが、、

 

 

 彼が残した音楽、そして彼がワタシたちに残していった命題はまだ生きている。

 

 

 そう思っているからだ。

 

 

 

 

 坂本氏の訃報を聞いてしばらくのち、、

 

 

 久しぶりに彼の著作2冊、

 

 

『音楽は自由にする』『縄文聖地巡礼を、

 

 

 ホコリにまみれた本の山の中から引っ張り出して読んでみた。

 



 

 『音楽は自由にする』は、坂本氏の音楽的半生をつづったもの。

 

 ワタシにはヨクワカラン音楽用語なども頻発(笑)するが、

 

 まぁ楽しく、そして興味深く読める本です。

 

 

 そのなかで彼が子供の頃(~中学生)の面白かったハナシを2つ3つ。

 

 

・クラシックを中心にピアノを習っていた頃、ビートルズに出会った。

 まず衝撃を受けたのはその音楽ではなく、写真。

 見た瞬間に「すごい!」と思って、引き込まれた。

 

 音楽的にはまずハーモニーがすごくきれいだと思った。

 かなり複雑なハーモニー。

 

 のちにドビュッシーに出会った時に、それがドビュッシーも好んだ「9thの和音」

 だと分かったという。ワタシは分からんのですが(笑)

 

 

 

ストーンズにもけっこう衝撃を受けたと言っている。

 

  「どういう衝撃かというと、、、

 

   あんまり演奏が下手なのでびっくりしたんです」

 

 ・・・って、コラコラ!(笑)(^▽^)

 

 ただ、ヘタすぎてカッコイイ、、、

 「こんなにズレていいのか?」と心配になるほどの音のズレ(笑)がカッコイイ、、

 とも言ってます(笑)

 

 多分ホメてる(笑)のだろうが、言葉は選んでほしい(笑)(^▽^)

 

 

 

・中2のとき、叔父のレコードコレクションの中にあるドビュッシーと出会う。

 これが坂本少年にとっての最大級の衝撃となったようです。

 

 自分の知ってるどんな音楽とも違う。

 バッハやベートーヴェン、、そしてビートルズとも、もちろん違う。

 

 聴いた瞬間にナンダコレハ!と興奮して、すっかりドビュッシーにとりつかれ、

 共感し過ぎて自分はドビュッシーの生まれ変わりだと思い込む(笑)

 

 「俺はなんでこんなところに住んでるのか、、

      どうして日本語をしゃべってるのか!」

 と思うくらい(笑)

 

 ま、、、中2にありがちな、、(笑)(^▽^)

 ドビュッシーの筆跡をまねて、帳面何ページにも亘ってサインの練習もしたとか、、

 (´∀`*)ウフフ

 

 

 

 ただ「ドビュッシーの生まれ変わり」説(?笑)にはワタシも少し思う所が。

 

 

 中沢新一『縄文聖地巡礼の中で、

 

 坂本の深層には「縄文的」なものがある、音楽もプリミティヴな要素がある、、

 

 と言っていたが、、、

 

 それこそが論理的・理論的だけではない坂本の音楽の本質を突いていると思った。

 

 それがワタシたちの情感にも訴え、心の深層にまで染み込んでくるような、

 

 彼の音楽性の根底にはあるのだ。

 

 

 

 一方、ドビュッシーの音楽も、、

 

 他のクラシック音楽家のものとは明らかに一線を画しているように思える。

 

 

 ワタシは交響楽がキライだ(暴言その1.笑)

 

 音楽を聴いているというより、、、

 

 なにか見る人を威厳で圧倒してくるような、

 

 石や鉄骨で作られた荘厳な建築物、構造物を、

 

 「どうだ!」と見せつけられているような感じがするのだ。

 

 ある意味、、、

 

 西洋文明の良くも悪くも(ワタシが感じるのは悪い方の)「象徴」になっている。

 

 

 

 その点、ドビュッシーの音楽には、

 

 「どうだ!」と見せつけてくるような圧迫感は無い。

 

 

 感じられるのは川のせせらぎだったり、お月様の静かなささやきだったり、

 

 頬をそっとなでるそよ風だったり、乙女が振りまく甘い香り(笑)だったり、、

 

 

 情感にも訴え、心の深層にまで染み込んでくる、、、

 

 そして「文明の所産」では決して無い、古くからのプリミティヴな面を残す、、

 

 そういった面で、坂本の音楽と通ずるものがあるように思われるのだ。

 

 

※実はそのようなドビュッシーの音楽性については、

 

 やはり『音楽は自由にする』のなかで坂本自身が言及している。

 

 すなわちドビュッシーは1889年パリ万博において、

 

 インドネシアの人たちが演奏するガムラン音楽に出会って、衝撃を受け、

 

 それ以後、堅牢な建築のような音楽では無く、

 

 自然を題材に取った浮遊的な音楽を書き始めたのだという。

 

 

 

 

 

 

 とはいえ、彼の残した音楽、、

 

 実を言うとワタシは彼の映画音楽は、ほとんど聴いてない(暴言その2.笑)

 

 

 あくまでPopsに携わり、、

 

 Popsのクォリティを爆上げしていた教授が好きだったのです。

 

(※とはいえ、smokyさん(id:beatle001)が紹介されてた映画『怪物』の予告編で流れる

  教授の音楽は素晴らしい!)

 

 

 

 

 ということで、ワタシの作る坂本龍一氏の記事においては、

 

 あくまで「Popsの世界に関わった坂本龍一として、

 

 彼自身の曲(YMO&ソロ)と、彼が創作に関わった他のアーティストの曲を

 

 紹介させていただくことにします。

 

 

 それが「ワタシの好きな坂本龍一だったので。

 

 

 そうすることでワタシなりの追悼記事になるのではないかと思ってます(*´ω`*)

 

 

 

 尚、、、

 

 この記事を作るにあたり選曲などしてると、どんどん増えてしまい(笑)、

 

 また文章量も、かさんで来たので、

 

 記事を前編・後編の2つにわけることにしました。

 

 ・・かなり削ったんですけどねぇ(笑)(*´ω`*)

 

 

 

 

 前編となる今回はYMO坂本本人のソロ作品のなかで、

 

 ワタシが好きだったものを取り上げたいと思いますm(_ _)m

 

 

 

 

 

 

 まずはYMO、、

 

 の代表曲、といえばライディーンとコレですね。

 

 

テクノポリス

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 ちなみに、、、

 

 中学のときのこと、、クラス対抗の発表会みたいなヤツがあって、

 

 他クラスの女子たちが、この曲をバックにレオタード姿(笑)で踊っていた(゚∀゚)

 

 

 ゴリ少年の目がクギズケ(笑)になったことは言うまでもないが、

 

 かなりシュールな世界でもありました(笑)(^▽^)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「東風」の俳号をもっておられるコッチさん(id:acchikocchiichiza)

 

 

 この曲にも思い入れがあるようです(*^^*)

 

 

「Tong Poo(東風)」

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 この、痛快ささえ覚える、颯爽としたサビのメロディが好きです(*^_^*)

 

 

 

 

 

 

 

 

 ’79年のYMOのアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァーに収録された

 

 「ビハインド・ザ・マスク」

 

 

 エリック・クラプトンがこれをカバーした時は驚愕した。

 

 ’86年の大ヒットアルバムオーガストに収録。

 

 

エリック・クラプトン 「ビハインド・ザ・マスク」

www.youtube.com

 

 

 実際は、まずマイケル・ジャクソンがアルバム『スリラー』制作中に

 

 歌詞を付け、カバーしたが、、

 

 

 なんでもマイケル側坂本龍一本人に無断で作ったあげく、

 

 それを高過ぎるマージン要求とともに、高飛車な事後通告(笑)

 

 みたいな感じ(笑)になったため、

 

 坂本サイドが激怒!(そりゃそうだわな、、、笑)

 

 

 で、『スリラー』収録には至らず(そりゃあ、、、そうだわな.笑)、、

 

 

 のちにクラプトンが取り上げることになった模様。

 

 

 

 マイケルのは後年、Best的なアルバムに収録されたようである。

 

 

 和解したのかどーかは知らんが(笑)

 

 

 

 とはいえ、教授の怒りはそのとき限りのもので、

 

 のちに笑い話としてユキヒロらと語っていたらしい(^^)

 

 

 

 ハナシを戻すが、、

 

 しつこいようだが、天下のクラプトン、、

 

 

 自らも幾多の超名曲の数々を生み出して来たクラプトンが、カバーしたのである。

 

 

 恥ずかしながらYMOにおけるこの曲は、

 

 ワタシにとっては地味曲(笑)でしかなかったのだが、、

 

 

「ビハインド・ザ・マスク」

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 ちなみにYMOのリーダーでありプロデューサーでもあった細野晴臣も、

 

 カバーされるまでこの曲のスゴさを認識していなかったことを後に告白している。

 

 

 どうやらこの曲には、ワタシたち日本人にはわかりづらい、、、

 

 本場英米人にしか感じ取れない「Rockの本質」的なものが隠されているらしい、、

 

 というようなことを、後に坂本・細野両人がそれぞれ別に語っている。

 

 

 

 ショックを受けた細野は、

 

 「僕はプロデューサー失格だ、、」と漏らしていたとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワールド・ミュージックへの接近も見逃せない。

 

 

 アフリカ、、中近東、、、カリブ、、、、アジア、、そして沖縄。

 

 

 

 彼にとってのその入り口は大学(芸大)時代、、、

 

 

 入学時から民族音楽電子音楽は学び倒してやろう」と決めて、

 

 民族音楽学の講義には欠かさず出席したとか。

 

 

 ワールド・ミュージックという言葉さえなかった若い頃から、

 

 世界中の音楽に興味を持ち、自らの作品にも少しずつ反映させてきたように思う。

 

 

 

 ’87年の『NEO GEO』(ネオ・ジオ)では、

 

 とくに沖縄とバリ島の音楽への現代音楽風アプローチが印象的ではあったが、

 

 まだこなれていない印象、、、

 

 

 

 ここで紹介したいのは’89年と’91年に続けて発表されたアルバム、

 

 『Beauty』『Heart Beat』

 

 

 

 まず『Beauty』から、セネガルの国民的アーティスト、

 

 ユッスー・ンドゥール(この人も大好きです、、)をフィーチャーした曲、、

 

 

「ジャバラム」

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 そして沖縄民謡を取り上げた曲。

 

「ちんさぐの花」

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 沖縄音楽に関しては、細野晴臣が’75年泰安洋行で、

 

 「Roochoo Gumbo」(ルーチュー・ガンボ、、ルーチューは琉球のこと)を

 

 すでにやっていたが、

 

 坂本龍一は、いつだったかのインタビューかナニか(ウロ覚え.笑)で、

 

 「沖縄音楽に目を付けてたのは自分の方が先だ」

 

 とかナンとか言っていた記憶がある(笑)

 

 

 たしか両者の関係が険悪(笑)だったときだ(^▽^)

 

 

 その後、また仲を取り戻したのを見て、ホッとしたのを覚えている(笑)

 

 

 

 

 

 

 ’91年発表のアルバム『Heart Beat』

 

 

 このアルバムにおけるワールド・ミュージックの曲と言えば、

 

 

 以前紹介したアラブ系音楽の曲「ヌアージュ(Nuages)もいいが、、

 

「Nuages」

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 ここで紹介したいのはアルバムの最後に置かれた、

 

 

 ワールド・ミュージックからは少し離れた2曲。

 

Heartbeat

 

 

 まず文字通りの「エピローグ

 

 

 で、この曲でおしまいなのかと言えばその次、本当のラストに配されたのが、

 

 「タイナイ カイキ」である。

 

 

 いまこの「エピローグ」を聴くと、、、

 

 もちろん全くの想像ではあるのだが、

 

 教授はこのような静かな気持ちで天に召されていったのではないか、、、

 

 という気がしてくる。

 

 

「Epilogue」

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 そして「タイナイ カイキ」

 

 

 「死と再生」の思想に立てば、「死」とは、、、

 

 魂の「宇宙における偉大な循環」のヒトコマに過ぎない。

 

 

 人の肉体は「死」を迎えると、大地の女神(大地母神)の体内(胎内)に帰る。

 

 つまり肉体は「土」の中に戻るのだが、、、

 

 

 逆にそれは、人の魂の「あの世(常世)」での再生・誕生でもある。

 

 

 そして魂はいつしかまた常世に別れを告げ、人の女性の胎内に回帰する。

 

 

 この世での誕生(再生)である、、、

 

 

 坂本龍一の魂は今、女神の胎内を経て常世に回帰しているのかもしれない、、、

 

 

 「エピローグ」のメロディに包まれながら。

 

 

 

 彼の魂の「偉大なる循環」が完了していなければ、

 

 いつかまた誰かの胎内に戻ってくる日もあるだろうか、、、

 

 

「Tainai Kaiki」

www.youtube.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 教授は反戦原発環境問題等においても、世界でなくてはならない存在だった。

 

 

 このことについては、もっと高い知見の方々が存分に語ってくれることと思うが、

 

 

 意外にも教授自身は元々、そういったことに関わらないようにしていたという。

 

 

 

 ではなぜ、そういった活動に関わるようになったのか。

 

 

 教授自身が述べている。

 

・・・・社会的、政治的なことには距離をおいてきたんだけど、90年代半ばくらいにある日テレビを見ていたら、ニュースでアフリカの飢餓についてレポートしてたんですね。それ自体は目新しいニュースでもないんだけど、ふと「この飢餓と、経済問題や環境問題は全部つながっている」と思ったんです。それまでは環境問題にたいして、ちょっと避けてきたところがあったんですが、コミットせざるを得ないというか、ぼくのような人間でも意識せざるを得ないほど、問題は自分に近づいてきている・・・

                     『縄文聖地巡礼より引用)

 

 

 

 そして教授は「環境問題」の根底に隠されている、

 

 文明社会の「業」ともいうべき問題について目を向け始める。

 

 

・・・さかのぼれば、約1万年前にはじまった農耕の発明によって、人間が環境を改変し始めた・・・それが現代まで続いてきている。・・・・農業とエネルギーの問題は、じつはつながっている。・・・・(だから)ホモ・サピエンス・サピエンスって、どういう生物なんだってことが知りたいんです。知らないと前に進めない。自分で自分の首をしめているような状況をやめて方向転換したい。新石器時代以来のこの1万年のやり方を見直して、方向転換できるかどうかにかかっていると思うんです。

                            (同上)

 

 

 このような汎人類的な、非常に大きなテーマ、、容易ではない問題、、、

 

 

 その解決のための「おおいなる何か」を秘めているものとして、

 

 

 教授が目を向けたのが、、

 

 

 自分が生まれ育ち、そのDNAも保持していると思われる、

 

 日本の「縄文」だったのだ。

 

 

 それには文化人類学者、中沢新一との出会いも大きかったようだ。

 

 

 教授と中沢新一は縄文の記憶をたどる旅を2回にわたって行っている。

 

 

 1度目は2004年、TV番組の企画で。

 

 

 

 2度目は2006~2007年、、、

 

 さらに深く掘り下げる旅で二人は視野を拡げ、思索を深め、、、

 

 

 それはワタシたちに大きなヒントを示唆する、一冊の書籍となった。

 

 

 

 ただこれについては語り出すと、、

 

 1回や2回の記事では収まらない気が(笑)するので、

 

 今回はこの写真(↓)だけでカンベンして欲しい(笑)(*´∀`*)エヘヘ

 

 

 



 まぁ、気が向いたら、そのうち・・(笑)(´∀`*)

 

 

 

 

 ただ、、これはワタシの勝手な推測ではあるが、、、

 

 

 教授の「縄文的なるもの」への ”まなざし” は、

 

 

 実はもっと以前から始まっていたのではないかという気がしてならないのだ、、

 

 

 本人が意識していたかどうかはともかく。

 

 

 

 作品でいえば、『音楽図鑑』、、、、、

 

音楽図鑑-2015 Edition-(紙ジャケット仕様) by 坂本龍一 (2015-03-24)

 

 

 ここにすでに「縄文的なるもの」の萌芽が感じられる、、、そんな気がする。

 

 

 

 

 

 坂本自身も『音楽は自由にする』のなかで、『音楽図鑑』について、、、

 

 

 2年にわたって、ほとんど毎日スタジオに入って、

 

 そのとき無意識に出てくるものを書き留めていき、音楽として作り上げていった、

 

 と言うことを述べている。

 

 

 さらに無意識というのは、個人的なものではなく、

 

 その深層において、人類が芸術表現を始めたころの神話的なもの、、

 

 集合的なもの(≒人類の集合無意識)とつながっている、、、

 

 

 そういう所にまで降りてゆく作業を音楽の場で実践しようとした、と述べている。

 

 

 恐らく、、、

 

 ヒトの無意識の層に蠢いているもの「縄文的なるもの」、、、

 

 両者は人類の深層でつながっており、未来へのヒントもそこにある、、

 

 と教授は身体感覚で気付いていたに違いない、、、そう思う。

 

 

 

 

 

 今回は名作『音楽図鑑』の曲を、あえて取り上げなかった。

 

 

 思い入れのある作品でもあり、、

 

 

 この作品(の曲)を取り上げるときは、

 

 

 また別に、それなりのテーマを持たせたいと思ったから。

 

 

 ただ、いつのことになるやら、、、、(´∀`*)ウフフ

 

 

 

 

 次回、「ワタシの好きな坂本龍一 (2)」です。

 

 よろしくお願いいたしますm(_ _)m

 

 

 

 

 

 

 

 

ここから写真です。

 

雨に濡れる山肌、、

 

 

ウスギヨウラク

 

 

 

 

 

4月13日(水)朝、、、黄砂がヒドくて・・・

太陽がデッカく写ってしまいました!😳

 

 

お昼ごろには黄砂も弱まったように思いますが、、、

まだ少し霞んでますね

 

 

 

山から遠くに臨む金沢の街

 

 

 

 

 

gori's kitchen!

 

カミサンが入院中でいない間、

 

外食やコンビニ関係ばかりではよくないような気がした(笑)ので、、、

 

 

冷蔵庫に余ってた野菜(ナス、ピーマン、シイタケ)を炒めてみました、、、、

 


①ナス、ピーマンを縦長に切ります(何切りっていうん?笑)

 ピーマンはヘタだけ取って、種を残すのがgori流!

 

②シイタケは傘と柄を切り離す以外は、手で裂きます。その方が食感がいいので。

 

ゴマ油とオリーブオイルを適当にフライパンへ、ほぼ同時に野菜も投入。

 

④強火で炒め、しなってきたらハイミー(伝家の宝刀!笑)をパラパラと。

 

⑤火を止め、醤油をフライパンにひと回し。香ばしい匂いがします(;´Д`)ハァ...

 

⑥野菜を盛りつけたあと、フライパンに油がわずかに残ってるので、、、

 

ビーフジャーキーを並べ、やや強火で。炒めるというより炙る感じで。

 

⑧ジャーキーを野菜炒めの上に乗せ、、

 コンビニで買ってきた「まるごと揚げニンニク バター味」を4粒ほど、添える。

 

 

完成です。

これに合うのは焼酎ハイボール レモンでしょうか。

 

 

あとはコンビニで買ったレトルトのジャワカレーで済ませました、、、

 

 

・・・これを続けていたら痩せるかもしれん(笑)(^▽^)

 

 

 

 

パパの作った料理、食べてみたいかい?

いいえ、大丈夫です🙅

 

 

 

 

 

ではまた来週m(_ _)m