先日、父が他界シマシタ。
危篤状態となってから一週間近く、父は酸素マスクの下で口を常に開けっ放しにしながら、苦しそうに、しかし頑張って呼吸をしていました。
心拍数は最初140前後で、その高さに驚きましたが、それからも徐々に上がり続け、最後の二日ほどは165前後にまで達していました。
危篤が伝えられてからは、ワタシと姉の二人で交替で見守り続け、容態が変化すれば母と共に実家にいる相手に知らせる手筈でした。
しかしあまりにも突然でした。
その時、かたわらにいたのはワタシ一人。
心拍の急激な落ち込みを告げる、けたたましいアラーム音が鳴ったかと思いきや、父の呼吸がスッと止まりました。
病院まで5分とかからない実家に待機している姉と母に、すぐ来るように連絡。
近くの病室にいた医師と看護師たちもすぐに駆け付けて来ました。
が、彼らは父の状態(表情など?)を見てすぐに事態を悟ったようでした。
数分後、医師により父の臨終が告げられました。
父の最後を傍らで見届けることが出来たのはワタシ一人でした。
その時、窓からちょうど朝日が差し込んできたのが印象的でした。
母と姉は出てくる際にバタバタしたようで、ようやくその十分後ぐらいに到着。
二人とも泣いていました。
医師の説明によれば、直接の死因は肺炎。若い頃の喫煙に原因があったとか。(あとでそのことを喫煙家であるワタシの息子に告げるとウーンと唸ってイマシタ.笑)
しかし広い目で見れば老衰によるものと言ってもよく、大往生だとも言ってくれました。
それからはあれよあれよという間にコトが進んでいきました。
まず事態が落ち着いたところで担当の看護師さんが、喪主になるであろうワタシに一つのリストを持ってきました。
遺体を病院の霊安室から「寝台車」で自宅(実家)へ運んでくれる葬儀屋のリストです。
ワタシがそこからひとつ選んですぐに連絡。
死の瞬間からはやくも二時間後には、寝台車に乗せられて父の遺体は実家に到着していました。
ほぼ使われることの無かった仏間にワタシと葬儀屋さんで父を運び入れ、それから葬儀屋さんは遺体の床への安置や焼香台の設置などを実にテキパキと済ませていきました。
ここ数年、痴呆症と寝たきり状態で施設と病院のベッドを行ったり来たりで、「家に帰りたい」と顔を合わせるたびにつぶやくように訴えていた父ですが、その死によって、ようやくその願いが実現したカタチとなりました。
しかしワタシはといえば、感傷に浸る暇もないまま、葬儀屋さんとその後の段取りの打ち合わせ。
宗教ギライで、しかも仕事を引退したあとは半分「世捨て人」のようになっていた父は遺言で、葬儀は行わず、寺のお坊さんも呼ばないようワタシたちに伝えていました。
それでもワタシと姉は事前の相談で、それでは成仏できないのではないかと、お経だけはあげてもらおうと決めていました。
結果、
- 身内だけ(母、姉家族、ワタシの家族、父の弟夫婦)の家族葬にすること。
- しかし葬儀場で行う一般的な家族葬ではなく、家でお坊さんにお経だけ上げてもらう形にすること。
- 火葬場でも火葬前にお経を上げてもらうこと。
- 葬儀屋さんにはお経を上げてもらう寺の選定(宗教ギライだった父は当然どこの寺とも関係を持っていなかった)と連絡、火葬場へ向かう霊柩車の手配、役所への死亡届の提出と火葬場の認可届けの代行などをお任せすること。
- 新聞への掲載は一切しないこと。
などを葬儀屋さんにお願いし、そのような段取りで動いてゆくことにしました。
一晩を父と過ごした翌日、ワタシは喪主として火葬場へ向かう霊柩車に乗り込みました。
火葬場への道すがら、薄曇りだった空を見上げると、おひさまの周りには日輪がかかっていました。
そして父の死の翌日の夕方にはすべてが片付いていました。
大げさな葬儀にしなかったこともあって、じつにあっけないものでした。
ワタシは父の死の瞬間からそれまで、一度も涙を流していないことに気付きました。
死を看取ったあとも、悲しいというよりは、苦しいそうだった父の表情が静かなものになったのを見てむしろほっとした感じに近いものだったように思います。
死んだ父に最初に心の中でかけた言葉も、
「やっとで苦しさから解放されたな。やっとラクになってよかったな。がんばったな、親父」
でした。
それからも悲しさよりは、なんとも言葉にし尽せない「空虚さ」のようなものに包まれているような感じがします。
役所の手続き的なものがまだ残っていましたが、疲労がかなりたまっていたこともあって、いったん自宅に帰って、翌朝また実家にもどることにしました。
車の中では常に音楽を聴いているワタシ。
実家から自宅へ戻る道中も何か聴きたいと思いました。
何がいいか。
歌モノはあまり聴く気になれませんでした。
JAZZが聴きたいと思いました。
プレイリストからまずジャッキー・マクリーンを選択。
ちょっと賑やかすぎた。
つぎにマイルス・デイヴィスを選択。
これがよかった。
まずはキャノンボール・アダレイ名義の「枯葉」。
そして「ラウンド・ミッドナイト」、「ディア・オールド・ストックホルム」、「ユアー・マイ・エヴリシング」……。
フロントガラスの向こうに広がる空虚な空に吸い込まれるようなマイルスのトランペット。
疲れたカラダとココロにそっと染み込んできます。
マイルスを聴き始めて何十年。
マイルスの音楽がこんなにも「優しい」ものだとは、今の今まで気が付きませんでした。
なぜかこの時だけ目が潤んできました。
泣きはしませんでしたが(笑)。
親父の魂はいまどのあたりにいるんだろうか。
空を見上げることが多くなっているワタシです。
(いまのワタシの心境をもっともよく表している写真がこれデス。モデルは去年の秋に大往生を遂げたタマちゃんデス。)
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