Good Old Music 、Fantastic高校野球

林業家kagenogoriが70's~80'sの珠玉の音楽、そして高校野球、etc.についてのたまうブログ

珠玉の70's・80's Japanese Pops&Rock (6)自分にとって大切な曲、アルバム②

 

  

細野晴臣 「プリオシーヌ」

omni Sight Seeing

 この曲が収録されているomni Sight Seeing』

 個人的にはこのアルバムが細野さんの最高傑作だと思っている。

 タイトル通り全方位観光というか、さまざまな場所への旅がテーマになっているが、「さまざまな場」のなかには時空を超えた場、「あの世も含まれているように感じられる。

 そう思えて仕方ないほど、このアルバムのすべての曲、というか音が「あの世」から響いているように聞こえるのだ。

 その「あの世」は遠い彼方ではなく、しばしばすぐそこに顔をのぞかせているもの。

 そう感じさせる。

 そしてこのアルバムのラストに置かれた「プリオシーヌ」は、まさに「あの世」への旅をテーマにしている。そう思う。

 プリオシーヌというタイトルは、宮沢賢治銀河鉄道の夜に出てくる「プリオシン海岸」からきている。

 銀河鉄道の夜死の世界、あの世への旅の物語だった。

 そしてこの曲の冒頭において効果的に使われているウミネコのような声(音?)こそは、「あの世」と「この世」の境に鳴り響く音。

 「あの世」から響いてくる誘いの声

 そう思えて仕方がないのである。

「プリオシーヌ」 omni Sight Seeing』に収録。

 

 

 

 

SION  「街は今日も雨さ」

SION

 この曲には、何度も、何度も、救われた気がする。 

 HEAVYな日々が続いた若い頃。

 心身ともに疲れ切ってしまったとき。

 何もかも投げ出して、誰も知らないどこか遠くへ逃げてしまいたくなったとき。

 もう死んでしまった方がラクなんじゃないか、とぼんやり思ったとき。

 この曲を抱きしめるように、何度も繰り返して聴いた。

 この曲の中で降る雨は、心の中に降り続ける雨なんじゃないか。

 そう思った。

 年齢を重ねるうち、そのようなHEAVYな状況はもう来ないが、この曲はいまでも思い出したように聴く。

 やはり抱きしめるように。

 

「街は今日も雨さ」 SIONに収録。

 

 

  

 

W.C.カラス 「誰かが死んだら靴を見るといい」

うどん屋で泣いた

 この頃、自分の死に際・死にざま について、ふと、考えていることが多くなった。 

 なるべくみっともない死に方や、ヒトから見て眉をひそめてしまうような死に方はしたくない。

 と、思いつつ、なかなかそうは問屋がおろさないのだろう。現実には。

 ただ、もし死に方に、それまでの生きザマが表れるのだとしたら、ということも思ったりもする。

 この曲はそのことを歌っているのだが、そのことについてどうだと言っているわけではなく、ただ淡々と歌い綴っていくだけである。

 「死」にみっともないも何もない。

 そんなことを気にしてもしょうがない。

 残された側も、故人の歴史がほんのわずか刻まれた死体をみて、その人の歩んだ人生に一時(いっとき)、想いをはせれば、それでいい

 そして最後に、故人も見ていたであろう空を見上げればいい

 そう教えてくれている。

 この世にBLUESがあってよかった。

 

「誰かが死んだら靴を見るといい」 うどん屋で泣いた』に収録。 

 

 

 

 

 伊藤銀次 「ビューティフル・ナイト」

STARDUST SYMPHONY '65-'83

 共に夢を追い続け、夢を実現することなく死んでいった友。

 誰しもが夢を追う。

 しかしそれを叶えることは稀である。

 いつしか現実に呑み込まれ、夢を追うことをあきらめる。

 ワタシなどこの年になってもまだ、夢を追っているバカモノであるが、実現のメドはなかなか立ちそうにない。

 ”夢を叶えることなく人生を終わらせてしまった人” 

  ”夢をあきらめた人” 

  ”いまだに夢をあきらめられず、追い続ける人”

 そんな誰にでも「ビューティフル・ナイト」は降りてくる

 銀次はこの曲でそう歌う。

 生きているかぎり、夢を追っていたい。

 そのように思い、そういう人生を歩んできている自分にとって、この曲の影響はかなり大きかったと思う。 

 

「ビューティフル・ナイト」 『スターダスト・シンフォニー』に収録。 

 

 

 

 

ハイ・ファイ・セット 「荒涼」

ファッショナブル・ラヴァー

 この曲を聴くたび、胸が締めつけられる。

 哀しいほど美しい北国の情景。

 やるせないほどの音の透明感

 そしてこの曲全体を通じて感じる、 「祈り」のような感覚

 この曲を聴くと、何故かいつも『宮本から君へ』の登場人物・靖子のことが思い浮かぶ。

 

  覚悟を決めた女の強さ、情念。

 それでも時折見せる弱さ、脆さ、はかなさ。

 それは純粋でいようとするがための強さだったり、弱さだったりする。

 その彼女(靖子)にも、ある種の「祈り」を感じてしまうのだ。

 深い悲しみと喪失感を背景にした(”純粋”というよりは)透明な祈り

 それがこの曲を私にとって無くてはならない”名曲”に押し上げている。 

「荒涼」 『ファッショナブル・ラヴァー』に収録。 

 

 

 

 

冨田ラボ feat.さかいゆう 『いつもどこでも』

Joyous

 心が酸欠のような状態に陥ったとき、この曲を聴きたくなる。 

  いつだって宝物は僕らの、ホラ、隣に。

  どこだって愛は育つよ。この手と手のぬくもり

 このフレーズを聴きたいがために、何度もリピートしてしまう。

 ”何か”を信じたくなる曲

 秀逸なメロディ、冨田ラボの卓越したアレンジ、さかいゆうのVocal。何もかもが温かい。

 人生にはこのような心を潤す曲も絶対必要、なんだな。多分。 

「いつもどこでも」 『Joyous』に収録。 

 

 

 

 

キリンジ 「エイリアンズ」

3

 自分が他の人たち(家族も含めて)とは 、何かが違う。話が合わない。ものに対する見方が180度違う。

 子供の頃からそのような違和感を感じ続け、ひそかに苦しんできた人たちは案外多いのではないだろうか。かく言うワタシもその一人なんですが。

 その”違和感”を建設的な方向に昇華させて成功する人も多いだろうが、ワタシも含めた大多数のヒトビトはそんなこともなく、ただ他人に(無理に)合わせる日々に疲労感を募らせているだけなのではないか。

 この曲はそんなことを歌っているわけではないのかもしれないが、何故か、自分の(ヒトには見せたくない)その”部分”を癒してくれるのである。

 この曲を聴いていて、不覚にも涙が出たことも何度かある。 

「エイリアンズ」 『3』に収録。 

 

 

 

 

 杏里 「夕なぎ」

MOANA LANI

 ”勇気”が無かったために、大切な女(ひと)を失ってしまう。

 失恋の歌である。

 若かりし頃、この曲を聴くたびに涙が込み上げてきたものだ。

 ワケは聴かないで欲しい(笑)。

 このヒト(杏里)はたまにこういう曲を書いてコチラを泣かせるのである。

 派手さは全くない、どちらかといえば地味な曲。

 しかし、聴く人の気持ちを”かき乱す”名曲である。

 胸が締め付けられる。

 今でもこの曲を聴くときは、遠くを見つめる目(笑)になってしまうワタシ。

 「夕なぎ」  他にも名曲・佳曲ぞろいの名盤『MOANA LANI』に収録。

 ワタシが杏里で一番好きなアルバムでもある。

 

 

 

 

東儀秀樹 東儀秀樹

東儀秀樹

 東儀秀樹のデビュー作にして、最高傑作。

 これほどまでに美しく、志の高い音楽はこれ以前にも、これ以降にも耳にしていない。

 このアルバムを聴いているとき、ワタシの魂は宇宙へと浮遊する。

 これを聴いたあとは、ほかの何も聴く気がしない。