またしても痛ましくも許せない事件が起こってしまいました。
亡くなられた若き外交官の方、小学生の女の子、これから待っていたはずの充実した人生を突然奪われてしまったお二人に哀悼の意を表します。
あまりにも深い悲しみと慟哭のなかにおられるであろうご家族の方々にも、深くお悔やみ申し上げます。
重症を負われた方々、大きな精神的ショックを受けたであろう子供たちやその家族の方々、学校の関係者の方々。時間はかかるかもしれませんが、心身共にできるだけ早く快復されるよう祈っています。
このような言葉も当事者の方々には、なんの慰めにもならないかもしれないけれど。
どうしてこのようなことが頻発するのでしょうか。
この国は私たちが思っている以上に、どこかおかしいのではないでしょうか。
私たちが社会の中で普段気付いていなかったり、無意識のうちに目を伏せてしまっているような所に、相当なひずみがたまってヒビ割れをおこしてしまっているのではないか。そう思えてなりません。
あまりニュースにはならないけど、この国の年間の自殺者が、他の国々に比べて以上に多い。そのようなことも何かで読んだ記憶があります。
最近の犯罪が弱者を狙った、無差別的なものになってきているのも気になります。
被害者は決まって社会的立場も力も弱い子供たちだったり、正義感あふれる人だったり、前途有望な若者だったり、誰からも好かれるような人だったり。
報道を見る限り、そのような犯罪者の人がかなり前から、危険な兆候を周囲に見せていた、というのも共通しているように思えます。
そのような人に対して私たちはどう向き合えばいいのでしょうか。
社会的な監視の下に置くべきなのでしょうか。
それとも逆にそのような人をフォローするような仕組みを作って、その人が犯罪の方向に向かないよう努力すべきなのでしょうか。
今回のような痛ましい事件を受けて、私の個人的な考えは「社会的監視」のほうに傾きつつあります。恐ろしいことですが。
しかしもしそうなったらそうなったで、監視の範囲は際限なく広がってギスギスした監視社会になっていくでしょうし、なによりも被監視者とされてしまうそのような人達が「そうなる」には、そうなるだけの個人的歴史の積み重ねがあったであろうことを想う必要もあるように思うのです。
何だかとりとめのないことを書いてしまいましたが、私たちはどうしたらいいのか、どう向き合えばいいのか。このような何とも言えない不安を、今後も抱えたまま進んでいかなければならないのか。
安倍首相をはじめとする政治家の方々には、私たちのこのような想いや不安が伝わっているのでしょうか。それさえも不安です。