どうも、皆様こんにちは。
2週続けて脳だけが真っ白な灰に(笑)なっているゴリです🦍
それに加えて、今週前半は遠出の仕事で忙しかったこともあって、
皆様の所を訪れるのが遅れたり、ちゃんとコメント出来なかったりでした(´・_・`)
おかげさまで、遠出仕事も予定より早めに終わらせることが出来、、
9日(木)はお休み!(笑)ヾ(o´∀`o)ノワァーィ♪
さて・・・・
自分のブログ記事がなかなか思いつかない中、、、
ボンヤリ見てたベストヒットUSAでは、
ウェンディとリサのリモート・インタビューを交えての
プリンス&ザ・レヴォリューションの特集でした(*´▽`*)
ウェンディとリサといえば、ザ・レヴォリューションのギターとキーボード、
イヤ、、、それ以上に色っぽさ全開(笑)のお姉さま方!!(*´▽`*)
現在(恐らく60代)でも、たいへんお美しいお二方でした(´∀`*)ウフフ
今回は(今回も.笑)考える力が無いので(笑)、
完全乗っかり企画(笑)とさせていただきます!
ちなみにゆかちん姐御(笑)も
当番組を欠かさず(?)ご覧になられているようで・・・
いつも参考にさせて頂いてます!(`・ω・´)ゞ
姐御、例によって事後報告(笑)でございますm(_ _)m
もしお怒りの場合は、、、
エンリョ無くワタクシめをムチ打って(笑)くだされ _| ̄|○
80年代初頭から徐々にメンバーが固まり出したザ・レヴォリューション、、、
ですが、86年に解散(多分.笑)。
87年の『サイン・オブ・ザ・タイムズ』からは、
アルバムからその表記が消えます。
今回はその『サイン・~』も含め、80年代のプリンスを
ワタシ目線で追いたいと思います。
「プリンスなんか好きじゃねぇ!」という方もおられるとは思いますが(笑)、
まぁ、そうおっしゃらず(笑)(^▽^)
ワタシが殿下(プリンス)(※)と出会ったのは高2、
82年の2枚組アルバム『1999』でした。
(※)以下、「プリンス」と呼んだり「殿下」と呼んだりします(笑)
当然買う金など無い(笑)ので、だいぶ遅れてから貸しレコード屋で借りました(笑)
このアルバムにはのめり込みました、、
何と言っても「D.M.S.R(Dance.Music.Sex.Romance)」やら
女性のア〇〇声がフィーチャー(笑)されてる「Lady Cab Driver」やら(´∀`*)ウフフ
しかしただのエ〇にとどまらないのが殿下!
「D.M.S.R」にしても”Sex”のあとに続くワードが”Romance”なのである。
ここにプリンスの高い美意識と志を見たのです、gori少年は。
当時の田舎少年にも分かる音楽性の高さ以上に、
「このアーティストは信頼できる!」と直観した次第です(*´ω`*)
しかし、「リトル・レッド・コルヴェット」(全米1位)や
タイトル曲「1999」、「デリリアス」等のヒット曲が連なるアルバムで、
ワタシが一番気に入ったのがこの曲です。
「夜のプリテンダー」
こりゃスゴイぞ、と思い、、、、
『1999』より、もう1作前の
『戦慄の貴公子(原題:Controversy)』(81年)
も借りに貸しレコード屋へ!(笑)
これも衝撃でした。
アルバム全編を覆う強力なファンクのビート!
(当時はファンクのことなど知らなかったのですが.笑)
もう、、ムチャクチャカッコイイのです。
どの曲もいいのですが、今回はこれを。
「セクシュアリティ」
1984年はRock・Pops史に刻まれるべき、素晴らしい年でした。
その少し前から猛威を振るっていた第二次ブリティッシュ・インヴェイジョン、
すなわちイギリスのアーティストがアメリカのチャートを席巻するという事態、、
それに対し84年についにアメリカのRockが猛反撃を開始!
かたやイギリスのアーティストたちも、
爛熟したかのような素晴らしい楽曲を次々発表!
結果、百花繚乱の如く、英米アーティストたちによる、
非常にレベルの高いチャート争い(?)が
繰り広げられたのが、1984年!
その特筆すべき年、、、
実は最強のアルバム(個人の意見です.笑)だったのがこれ、
いわずもがなの『パープル・レイン』です。
殿下自身が主演した自伝的映画、
『パープル・レイン』のサントラ盤という体でしたが、、、
まずアルバムに先駆けてシングルとなった「ビートに抱かれて」がいきなり1位!
しかし最大の衝撃は次にシングルカットされたこの曲だったのです。
「レッツ・ゴー・クレイジー」
まず、当時の感覚からして、、
「レッツ・ゴー・クレイジー」というタイトルがもう衝撃(笑)
そして他の追随を許さない楽曲の良さと、パフォーマンスのカッコ良さ!
「Oh! No! Let's Go!」のカタルシス!
ギターもスゲェ!!
実際、、この曲の登場、そしてメガヒットした事実によって、、、
世界中のRock、音楽業界の「何か」が、
変わったような感覚がワタシ個人にはあります。
・・・・・
このアルバム『パープル・レイン』でよく言われるのは、、、
プリンスの作品の中では(特に音楽的に)大して重要な作品ではない、、、
、、、云々ということ。
当時プリンス自身からもそのような発言があったとかで、
とくにヒョーロン家連中がこぞって言ってます(笑)
しかし、、、このアルバムが放った衝撃、音楽&パフォーマンスの質の高いパワー、
そしてその歴史的重要性、、、、、、それらを無視したとしても、、、
当時のあの空気を吸い、
世界中が同じ衝撃を共有したあの「現場」を目撃した人間が言うことじゃ無いだろ、
とワタシは思うのです。
作った本人がそういう発言をするのは仕方のないことで、
(カンペキ主義のプリンスなら猶更のこと)
それを錦の御旗にして乗っかるのは、また別問題です。
このことをとってみても、
音楽ヒョーロン家(ごく一部を除く)の言うことは、
一般リスナーにとって何ら参考になるものでは無く、
傾聴に値しないことがわかります。
彼らの頭の中にあるのは、いかに自分を大きく見せるか、その一点(笑)
続く85年の『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』は、
サイケにフィーチャーしたかなりの変化球でしたが、音楽性も高く、
ヒョーロン家先生たちも大満足(笑)の作品となりました。
独特の浮遊感があって、もちろんワタシも好きなアルバムです。
そこからタイトル曲をどうぞ。
「アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ」
続く86年の『パレード』も例によって問題作(笑)ですが、
これを最高傑作に上げるセンセー方も多いです。
特にセンセー方の評価が高いのが、シングル・カットもされた「Kiss」ですが、、
ここではワタシの好きなこの曲を紹介させていただきます(*^^*)
「ニュー・ポジション」
シングルにもならなかった曲ですが、
軽快で乾いたファンクのビートが何とも心地良い曲です(´▽`)
とくにベースが素晴らしい(*^_^*)
我が家の殿下。目ヂカラでは負けていない(`・ω・´)
続く87年『サイン・オブ・ザ・タイムズ』。
先述したように、このアルバムからはザ・レヴォリューションは参加せず。
そのせいかワタシには非常に内省的というか、、
独りでコツコツ作ったような印象があります。
全体の統一感もあまり無く、
ビートルズでいえば『ホワイト・アルバム』のような感じでしょうか。
もちろん素晴らしい楽曲群で、最高傑作に挙げるセンセー方も多いですが、
これまでのような「ハジケたようなパワー」は消えたようにも思えるのです。
以前このアルバム収録曲「プレイ・イン・ザ・サンシャイン」の
恐るべきライヴ・パフォーマンスを紹介したことがありましたが、
今回は野太いベースが印象的なタイトル曲と、
美しくも楽しい「スターフィッシュ・アンド・コーヒー」をどうぞ。
「サイン・オブ・ザ・タイムズ」
「スターフィッシュ・アンド・コーヒー」
セサミ・ストリート?(笑)(´∀`*)ウフフ
同じく87年に制作された全面ハード・ファンクの
『ブラック・アルバム』。
なんと発売中止!(;゚Д゚)
のちの90年代にひっそりと(笑)発売。
この時を待っていた🦍は即購入!
「ル・グラインド(Le Grind)」
アルバム冒頭のこの曲が、一応このアルバムでは一番聴きやすい曲かと(*^_^*)
88年にはワタシが最高傑作と信じる『LOVESEXY』が発表されるも、
そのジャケットが物議を醸し(笑)、問題となりました(^▽^)
そのため殿下とレコード会社の間でひと悶着(恒例行事のようなものです.笑)
あったのですが、、、
そのあおりを受けて何とアルバム内の全ての曲間の切れ目が無くなり(なんで?)、
アルバム全体で1曲扱いという異常事態に!!
つまり好きな曲だけ取り出して聴く、ということが基本的に不可能に(笑)
やめて欲しいんだよねぇ、そーゆーコト(笑)
「アルファベット・ストリート」
細かく刻まれるファンク・ビートが気持ちいい!(*´ω`*)
我が家の殿下part.2 セクシー路線は封印中です🙅
翌89年には映画『バットマン』のサントラを手掛け、
シングル、アルバム共に大ヒット!!
それまで自身でいくつか映画を製作(※)するも、
すべて大コケ!(笑)
で、こさえてしまった莫大な借金(笑)、、、、
この大ヒットで、すべて完済した(*)というからスゴイです。
(*)goriのウロ覚え情報より(笑)
ですが、ワタシはこのアルバム『バットマン』の内容には、少々ガッカリ(笑)
したので、曲のUpは無し!🙅(笑)
何にガッカリって、、、
プリンスらしい「いかがわしさ」が無くなってるんですよ!
ファンクでもない!
そんなの殿下じゃない!!(ノД`)・゜・。
と、当時の若きgoriは思ったわけです(笑)(´∀`*)
(※)映画『パープル・レイン』はプリンス主演でしたが、彼自身の製作にあらず。
いかがでしたか?80年代のプリンス。
ご覧いただいた通り、、、
出すアルバム、出すアルバム、、、ほぼすべてが問題作(笑)、
ほぼ全てで物議を醸す(笑)という、
当時はトンデモない存在でした(´∀`*)ウフフ
当時、、、
地元・石川県(つまりは田舎.笑)で、
車でプリンスをかけてたら、変人を見るような目で見られたものです。
(本当ですよ!!笑)
ベストヒットUSAのゲスト、ウェンディ&リサは、
小林克也の質問に答えて、
「毎日、一日一曲以上仕上げていた」
(つまり録音も含めて完成させていた!!)
「どんな時だろうと、頭にアイデアが浮かぶとすぐ形にした」
「だからほとんど寝ず、睡眠時間は4時間ほどだった」
・・・等と、当時のプリンスの様子を話していました。
これが「天才」というものなんでしょうね。
同じく「天才」だったジミヘン(ジミ・ヘンドリックス)も、
「頭の中で鳴っている音を、とにかく外に出さないと(表現しないと)
気が狂いそうになる」
というようなことを言っていたとか。
殿下もきっと同じような感じだったのだと思います。
こうなるともう悲劇のような気がします、ワタシのような凡人には😳
それが原因(恐らく)でプリンスは激しい頭痛持ちでもあり、
ついには薬の過剰摂取で突然この世を去りました。
「天才」であることの代償、それはあまりにも大きい、、、
と、凡才goriは思うのであります(*´ω`*)
殿下、天国でも忙しく音楽を作ってるのでしょうか、、、(*´ω`*)