今日は山が積雪のため仕事は中止!!\(^o^)/
多分明日も、やっすみっかな(笑)(^▽^)
非難ゴーゴーお待ちしてまぁーす(笑)(^^)/
でも言葉は選んでね(笑)(^_-)-☆
ヒマ(笑)なので、以前から出そうと目論んでたこの記事を完成させました。
まずは吉田拓郎の’71年のこの曲を、ライヴ映像も併せてご覧ください(*´▽`*)
若い頃は自分なんて死んでしまえばいいんじゃないか、などと思っていた
”死にたい”とは、またちょっと違う
なにも出来ない自分。
劣等感
コンプレックス
ネガティヴなこの曲が、逆に自分にとっては救いだった
自分は何でこの世に生まれて来たんだろう?
それが若き日の自分に毎日のように問いかけていた自問だった
こんな自分だから30代以上どころか全ての人間(親も含めて)、そして自分でさえ信じることはできなかった。
それがじつに情けないことである、ということは辛うじて理解していたと思う。
ムーンライダーズ 「DON'T TRUST ANYONE OVER THIRTY」
moonriders - DON'T TRUST ANYONE OVER 30
どこかに逃げ出したい
この世から消えてしまいたい
”24時間 砂を食べていたい”
一見、ワケの分からないこの歌詞が、当時の自分にはリアリティをもって迫って感じられた。
孤独だったわけではない
友人たちや仕事仲間たちの間では、人を笑わせる楽しいヤツ、と思われていたに違いない。
そういう自分を必死に”演じ”て、帰宅して一人になったときの”本当の自分”とのギャップが、ほんとうにシンドかった。
この頃はしょっちゅう、金縛りはもちろん(笑)、幽体離脱(笑)にも見舞われていた(笑)
深層の無意識の部分でも、この世から離れたがっていたのかもしれない。
そのような”弱い自分”にも、ホトホト嫌気がさしていた
毎日、毎晩、心の中で泣いていた気がする
でも、
もう少し、生きてみよう
もう少し、がんばって生きてみたら
もう少し、 違った「何か」が見えてくるかもしれない
それが”希望”と言えるものだったのかどうかは分からないが、
その想いだけで「生きながらえてきた」
音楽の力にも助けられてきたと思う。
心身ともにツラい日々を送っていた当時、
抱きしめるように聴いていた曲がいくつかある。
それらは今でも大切な曲になっている。
ようやく落ち着いてきた、と自分でも感じて来た、たった数年前に、
40数年前のこの曲に初めて出会ったのだ
これもなにか意味があることなのか、どうか
ボブ・ディランを超えた。
初めて聴いた時、そう思った。
あくまでワタシ個人の想いである。
しかし、もしも、である。
ボブ・ディランの歌がこの世から無くなったら。
残念な気持ちは残るであろうが、それでも、その後もごく普通に生きていけるだろう。
そういう気がする。
しかし、もし、たった数年前に出会った拓郎のこの「今日までそして明日から」が、明日から聴けなくなったら。
死にはしないだろうが、ある意味、ワタシは生きていけないような気がするのである。
少なくとも、これに変わる歌を見つけなければいけない。
しかしそんな歌は他にどこにも無いのである。
それほど今のワタシにとっては大事な歌であるし、無くてはならない歌となった。
この曲にかぎらず、
音楽が無かったら、ここまで生きて来れなかった
本当にそう思う
まわりにも感謝しなければいけない
情けないことに、若い頃の自分には「感謝」という概念すらなかったように思う。
先ほど、ペンギン侍殿の最新記事のタイトルだけ、チラッと見させていただいた。
中身はまだ読んでいないが、幼少期の極貧時代のことを書かれているようだ。
おそらくナニクソ精神で、子供の頃から力強く、逞しく、闘い続けてこられたのだろう。
ペンギン侍殿、アナタはすごい人だし、また色んな事で個人的に感謝もしている。
それに比べて、我が身の情けなさよ・・・(笑)
みなさん、ワタシってこんな人間なんですよ!(笑)
明日からもこうして生きていく………のだろうな
ワタシは50代になってようやく、人として成長させてもらっているような気がしている。
そして今、いや今もブログでの多くの方々との出会いと交流を通じて、
日々成長させていただいている、
というのは偽らざる実感なのである。
感謝、感謝、感謝。
つーワケで(笑)これからもよろしくお願いしやぁーす!(笑)(^^)/
オマケ
先ほど紹介した曲だけど、’85年のライヴ・エイドの映像で、元春自身が語っているところも入ってるので、オマケにつけときました(笑)
Motoharu Sano - Shame COMPLETE VERSION (JAPAN - Live Aid 7/13/1985)