Good Old Music 、Fantastic高校野球

林業家kagenogoriが70's~80'sの珠玉の音楽、そして高校野球、etc.についてのたまうブログ

”ここではない何処か” へ……  ロキシー・ミュージック『アヴァロン』

 


アヴァロン

 

 何だか最近、疲れ気味だ。

 年をとってジジイになったせい?

 それもあるだろう。

 キンドナに振り回され続けたせい?

 それも……あるかもしれん。

 でもそれだけではない気もする。

 なんだかココロが酸欠状態なのだ。

 息が苦しい。

 新鮮な空気が欲しい。

 さしずめワタシは金魚のようなもの。

 

 緑に濁った水の中から

 水面(みなも)に顔を出し

 息をせんともがき

 口をパクパクさせる金魚。

 そう、ワタシは金魚   

                  by金魚

 

 

 

 

 

 

  

 何かも投げ出して、誰も知らない遠い所へ、行ってしまいたい。

 ここではない、何処かへ………

 

 

 

 

  みたいなことを、オトーサンがブツブツ言いだしたら、家族みんなで優しくしてあげてください。

 そして晩御飯は、ここではない、どこかの焼き肉屋へ。 

 

 

 

  ワタシの幼き頃の夢は、スナフキンのように生きることだった。

 

 笑うでない。

 スナフキンのように年がら年中ギターだかバンジョーだかを携えて、詩や歌を吟じながら世界中を旅して歩くのだ。

 

 遠くの空を見すえつつ

 樹上でさえずる小鳥の言葉に耳をかたむけ

 足元の草花を愛でながら

 花の蜜に集まる虫たちには微笑みを (笑うでない)

 頭に描くはまだ見ぬ土地との出会い

 まだ見ぬ理想の地…… 

 

 約束の地、理想郷………それはきっと、どこかにある。 

  

 オトコってのは皆、胸の内ではそれを信じ、常に自分だけの”理想郷”を追っかけているものなのだ。

 

 

 

 アヴァロン

 ケルトの民たちが思い描く、何処かにあるはずの楽園。 約束の地。 理想郷………。

 

 

 まあ日本人にとってのリューグージョーみたいなものだろう。

 アヴァロンだかリューグージョーだかを探し追い求めているうちに、気が付けば頭が真っ白のオジーサンになっちまってる、ってワケだ。

 

 

 ブライアン・フェリー旦那は、このアルバム『アヴァロン』で一体何を訴えたかったのか。

 

アヴァロン (Remastered 1999)

アヴァロン (Remastered 1999)

  • 発売日: 2004/04/01
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

 

  

 人生を”踊り続ける”ことに疲れてしまった男が、魅力的な、しかし謎めいた女に「別の世界」へと誘われる。

 男はそこがアヴァロン=理想郷なのかと錯覚する。

 ”理想郷”とはどこなのか。

 アルバムタイトル曲「アヴァロン」

 この曲では、現代に生きるヒトの、アヴァロン=理想郷への想い、その甘い誘惑が綴られている。

 

アヴァロン(紙ジャケット仕様)

アヴァロン(紙ジャケット仕様)

 

 

 

 しかし、この曲に先立つアルバム1曲目。

 アヴァロンという理想郷をテーマにして強烈なメッセージを込めたコンセプト・アルバムの1曲目である。

 

 「モア・ザン・ディス」

 ここでブライアン・フェリーは、

 

 理想郷は遠いどこかにあるのではない。

 ここがそうなのだ。

 ここ以上のものはないのだ。

 

と、おおよそこのようなことを歌っている。

 

 

 つまり、ワタシが、アナタが生きている、今、ここがそうなのだ、と。

 

 ただ重要なことなのだが、「ここ」とは場所を意味していない。 

 

 

 彼は、ブライアン・フェリーは、「いまいるこの場所」が理想の地だと言っているわけではないのである。

 

 今いる「この場所」が追い求めた理想郷なのだとしたら、その旅(=人生)はそこで終わることになる。

 

 そうではないのだ。

 彼は「More than here」とは言っていない。

 

 「More than this」なのである。

 

 これ以上のもの、これより素晴らしいもの、など無い。

 

 人は理想郷を追い求め続ける。

 理想郷を追って生き続ける。 

 そうやっていま生きている、生き続けている、この”瞬間”の連続。

 場所ではない。

 生きること。

 生きている今。

 このことこそが私たちにとっての「理想”郷”」なのだ。

 

 ブライアン・フェリーは、多分、そういうことを言いたかったのだ。

  

アヴァロン

アヴァロン

 

 

 

 

 ワタシは何故生まれたのか。

 何故生きるのか。

 

 人は過酷なこの世で「辛い修行」をするために、この世にわざわざ生まれてくるのだ、と説く人もいる。

 あるいは、そうなのかもしれない。

 

 しかし本当は、「この世で生きる」という理想”郷”を追い求めて、生まれてきたのかもしれない。

 だとすれば、この世に生まれてきたことは、実は宝くじに当たるよりも、よほどラッキーなことなのかもしれない。

 理想郷なのだから。

 ワタシたちはみな、”選ばれし者”なのかもしれない。

 

 生きること、生き続けること、

 そのことこそが”理想郷”なのであり、

 そのことにこそ意味がある。

 そうなのだ。

 

 

 キミも選ばれし者なり。まる。

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    (家族の遊び相手という大事な仕事に精を出すまる君)

 

 

 

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  そりゃ猫だって疲れるさ。

 どこか遠いところに行きたくなることだってあるさ。

 

 

 ………やっとで書き終わった。 

 

 焼肉でビールといきたいところである。

 

 どれ、カミサンの耳元でブツブツ言ってみようか。