ワタシkagenogoriは別に『古代史は小説より奇なり』という古代史ブログもやってまして、また泉雄彦のペンネームで『影の王』という古代史の謎に新たな視点から迫った本も出版させていただいてオリマス。*1
影の王: 縄文文明に遡る白山信仰と古代豪族秦氏・道氏の謎 (MyISBN - デザインエッグ社)
- 作者: 泉 雄彦
- 出版社/メーカー: デザインエッグ社
- 発売日: 2018/03/19
- メディア: オンデマンド (ペーパーバック)
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この二つには縄文時代というのが、かなりのキーというか、重要な位置を占めてます。
ワタクシ、子供のころからかなりの縄文好き(何故か弥生時代はキライでした)だったのですが、大人になってからそれを再確認させてくれたのが、高室弓生さんの『縄文物語』だったのデス。
当時の縄文に対する一般的なイメージは、上半身ハダカで、狩猟と採集で毎日の食料を確保するのも大変な「原始人にケが生えた程度」のもの(未だにそう思ってるヒトは多いですが)デシタ。
縄文にアコガレみたいなものを感じていた自分は、ソンナコトナイと密かに思っていたものデス。
当時愛読していた講談社のマンガ雑誌「モーニング パーティ増刊」で
最初にこれを読んだときは、ウレシイ驚きに満ちてました。
このマンガを一言で表現するとすれば、”縄文の至福”。
ここに描かれているのは縄文中期(作者によれば四五〇〇年前)の東北地方、今の遠野のあたりにあったムラの四季折々の生活。
驚いたのは、自分が「こうだったらいいなあ」と思い描いていた”縄文”がそこにあっただけではなく、 季節ごとの日々の暮らしや信仰、衣装や食料加工物・住居・身に着ける小物類にいたるまで、驚くべき緻密さで具体的に描かれていたから。
しかも登場人物一人一人のキャラが立っていて、実に生き生きと描かれている。
『縄文物語』は彼らの精神文化と物質文化がいかにバランスよく、豊かでゆとりのあるものだったかをホウフツとさせてくれる。
これは言うまでも無く、作者・高室さんの正確で高度な縄文知識と高い画力によるものですが、当時明らかになっていなかった部分も、民俗学知識やイマジネーションで描いていたようです。
それさえも研究が進んだイマの目で見ても、結構マトを得ているのが嬉しくもスバラシイ。彼女の前世は縄文ビトだったに違いない(笑)。
この作品は後に青林工藝舎から『縄文物語 わのきなとあぐね』 (わのきなとあぐねは主人公二人の少女の名)として復刊されました。
当時未発表だった作品やコミック未収録だった作品、書き下ろし作品なども追加されているようで、ワタシも今回早速注文しました(笑)。
そして同じく青林工藝舎から、 『縄文物語』の続編ともいえる『ニタイとキナナ』も出ています。
『縄文物語』から150年後の同じムラのある若い夫婦の物語。
前作からかなり縄文の研究が進んだこともあって、その生活ぶりの描写がさらにグレードアップ! もちろん民俗学等で補強されたイマジネーションの産物と思える部分もあったりしますが。
特に住居が快適そうなのと食べ物が実にウマそうに描かれていて、さらに縄文ビトがうらやましくなったりシマス。
巻末の高室さんによる24篇にわたる豊富な「縄文うんちく講座」も必読モノ。
いま改めてこの2作を読んで思うのは、イマジネーションの大切さ。
特に縄文に対してはそう思う。
そのイマジネーションの欠如こそが、これまで縄文時代を”原始”扱いしてきた元凶なのだから。
とにかく縄文に興味がある方は、学術本も大切ですが、それよりもまずこの2作を読んでみて欲しい。
「豊かな縄文」と「生き生きした縄文ビト」たちに出会えるはずだから。